歴史は繰り返す
昨今、鉄道業の営業合理化政策推進と沿線自治体との遣り取りが報じられる度に半世紀前の繰り返しだな、と思う。
<JR駅>無人化や合理化の4駅に人員配置検討 唐津市長「マンパワー必要」(佐賀新聞LiVE 22年1月5日 9:15)
年が明けて今春改正で実施される九州島内の大規模な無人駅化敢行(※註)に対する唐津市長の年頭会見における発言が報じられたが、氷山の一角と言うか報道されないだけで、或いはこれから3月に向けて各自治体の議会などで論じられるものと思われる。勿論これは九州に限った話ではない。
1970年代の国鉄では線区毎やブロック毎に大規模な無人駅化が推進されたが、佐賀県下の路線を管理していた門司鉄道管理局では74年3月と10年後の84年2月に夫々実施されている。当時の合理化は自動閉塞化と閉塞区間の統合によるものがメインだが、運転扱い業務を継続しつつ旅客営業について無人化する「駅員がいる無人駅」も少なからず生じた。無人駅の旅客扱いは車掌が行う形となった。
そして2020年代、半世紀後の現代においての無人化は出改札業務の近代化による省人化である。都市部近郊ではIC乗車券に対応した設備を備え、近距離きっぷの券売機もある。郊外については旧来のワンマンカーと停留所タイプになるが、利用減少の加減は70年代よりも酷いのではないだろうか。この辺りの事情を述べずに駅員が引き上げて不便だ!と論ずるのはフェアではないと思う。
先に大規模な無人駅化敢行(※註)と表現したのは、無人化によって不便を強いられると主張する側の表現であって、JRにしてみれば利用実態に合わせた対応であり国鉄時代のような聊か乱暴な無人化でもない。IC使えるじゃん、券売機あるじゃん、指定券はネットで予約できるじゃん。係争に発展した車椅子問題も九州では専門のコールセンターまで用意するって譲歩もしている。
これだけフォローアップした上での合理化なのに、滅多に利用しない外野が声高に権利主張しているのは違和感しかない。
冒頭の佐賀の話題に戻るが、唐津市長が「どげんかせんといかん」と危機感を覚えて対策を講じるのは良いがJRに直談判したところで撤回は無理ゲーだって。
半世紀前に倣い自治体が出札業務を受託して、専門の管理会社を設立するなりして任せるほか無いのでは?赤字経営必至だろうけどな。こういうの国鉄末期は各地にあったぞ。
まぁでも運営の財源が税金になるから市町村民の理解が得られるか次第だな。税金使ってまで維持するくらいなら無人で良い、となるだろう。
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